amethyst-222’s diary

親から離れて心の安定を手に入れた経過の話

いつもおさがり

洋服や学用品はほぼおさがりだった。

おさがりを嫌だと思わなかったから、喜んで着ていた。

一気にたくさんおさがりがもらえる日はファッションショーのように着比べて楽しんでいた。

古くさいデザインでも、シミが少しあっても、毛玉がついていても、目新しいってだけで嬉しくて、おさがりがもらえた日は嬉しかった。

唯一、どうしても受け入れられないおさがりがあった。
それは、防災頭巾

周りはみんなシルバーの防災頭巾

学校中でもほぼ私と兄の二人だけが、一昔前の黄色と黒の千鳥格子のような模様の防災頭巾を使っていた。
おさがりは2つしかこなかったから、妹はシルバーの防災頭巾だった。

ただでさえ目立つのが大嫌いなのに、みんなと違うものを身に着けて目立つのは拷問のようだった。

毎年お願いしても買ってもらえなかった。
泣いて訴えてもだめだった。

高いからだめっていう理由だったから、すごく高価なのかと思っていたら、三千円もしなかった。

我が子の入学準備の時に値段を知ってもやもやした。

アラフォーになった今でも、この思い出は苦しくて消化できていない。

防災頭巾を使いたくないからなんとかして休みたくて、避難訓練の前日は水浴びをした。

熱が出るように、お腹が痛くなるように、祈るような気持ちで水を浴びた。

でも、一度も熱は出なかった。
毎年泣きながら避難訓練を受けていた。切ない思い出。

母はたくさん洋服や靴を買っていたから、その一枚を減らして防災頭巾が買って欲しかった。

父も、毎年泣いて訴える私を見ていたなら、助け船を出して欲しかった。

こんなにこの子が言うなら買ってあげよう、と一言言ってくれる誰かが欲しかった。
ずっと孤独だった。

こんなに孤独だった私が育てた我が子達は明るくてとてもかわいいけれど、悲しい子どもだった私もけなげでかわいい子だったと、大人の私は思う。