amethyst-222’s diary

親から離れて心の安定を手に入れた経過の話

「そうだね」の効果

子ども達の話は「そうだね」「そうだったんだ」と聞く。共感の言葉で相槌をうちながら聞く。

そのせいか、何でも話してくれる。

 

両親は言わなくても怒るし、言うともっと怒るから、兄弟みな親への口数が少なかったように思う。

 

両親は子ども達のことは思考まで全部把握する必要があると考えていた。だから、「言いなさい」と秘密にしていること、たいしたことないこと、様々なことを聞きだされていた。正座して、びんたされながら学校でのことを聞かれるのが怖かった。週に何度もあって、本当につらかった。

親の望む行動が取れなかったことを知られると、頬がひりひりするほど叩かれた。泣きながら眠って、次の日は目を腫らして学校へ行っていた。

 

人は、共感してもらえたら、自ら話すんだと思う。

 

私は、子ども達の好きな人や、授業中にこっそり考えていること、やっていること、いろいろなことを知っている。叩かずに知っている。

夏休みのリビング

夏休みの宿題をみていた。

30分おきくらいに抱っこしてと膝の上に来る。

上の子もまたまだ甘えたい盛りで、どちらが先に抱っこしてもらうかで揉める。

 

先に抱っこしてもらいたくて喧嘩になるから、あぐらをかいて、まずは二人同時に抱っこする。それから一人ずつ抱っこする。

 

勉強より、抱っこしてる時間の方が長い。

 

ダイニングテーブルで勉強をしているから、夕飯の支度の頃にはテーブルの上にたくさんの消しゴムのかすが溜まる。

 

てきぱきやってくれたらなと思うけど、だらだらでも、ちゃんと席につけているから良しとして、夕飯にした。

 

 

母に似てしまう恐怖

母と縁を切った頃の話。

支配された人生は終わりにして、別人になって、生きることも子育ても楽しんでいこうと方法を模索していた。

楽しもうとしているのに、夫や娘に対するちょっとした物言いとかがぞっとする程母に似ていて、その事実に気がついた時は恐怖だった。

もう母とは関わらないと決め、離れているのに、身体が母に乗っ取られるような感覚。

 

子どもを通して知り合った友人にお盆やお正月の予定を聞かれる頃になると、うまく嘘もつけなくて、しどろもどろになる自分も歯痒くて、どんどん病んだ。

 

家から歩いてすぐのところに、精神科があった。話を聞いてアドバイスをくれる人を得たくて、精神科に電話した。予約の為だった。めちゃくちゃ勇気を出した。

なのに、自分で電話をかけて説明出来る方はうちでは診ていないと、にべもない返事だった。

 

精神科の受付の方に心療内科に電話してみたらと教えてもらったので、心療内科に電話してみるものの、近場で通えそうなところは予約が数カ月先までいっぱいだった。一歳の娘を連れて通うには現実的な距離ではなくて、病院にすら通えない現実にまた追い詰められた。

 

誰かに親のことを聞いてほしくて、でも、知り合いには知られたくないから、何かないかと探すうちに、その当時流行っていた心屋さんに行き当たった。

お弟子さん達のやっているセミナーがあった。予約して行ってみた。

そこで、講師の方にも、同席していた方にも母のことを聞いてもらった。母の育て方は当たり前じゃなかったということを知れたのが大きかった。同席した同じ年齢くらいの同性に話せたことがとても大きかった。

ここから、一歩進めた感じになった。

 

 

生きるモード

前は常に死にたかったから、死ぬことが前提で、いつ死ぬか、どうやって死ぬかを考えていた。

 

夫のことを好きになって、夫と生きることを選んだ。子どもが産まれて、子どもの為にお母さんとして生きることを選んだ。

 

それからは生きることが前提で、どう生きれば死にたくならないかを考え続けた。

 

おじいちゃん、おばあちゃんは子どもに必要だという決めつけを捨てた。私が我慢して、丸く収めようという我慢も捨てた。

兄弟の中で私だけが親からお金の無心をされていて、なのにバカにされて、もういろんなことが全部めんどくさくって、捨ててやるって思った。

嫌なことは嫌って言って、自分を大切にして生きることにした。親の愛は諦めて、愛をくれる人と一緒に強く明るく生きることにした。

 

メンタルが整わなくて、心療内科へ行ったり、ママ向けの講座に行ったり、もがいてあがいて、惨めな日々だったけど、強く生きられるようになってきたように思う。

 

 

 

 

幸せな文房具

駅ビルの中に入っている文房具屋さんの中を探検した。

 

娘はペンに興味があるようで、試し書きして色を選んでいた。すみれ色〜紫色の辺りの色のサインペンを真剣に見ていた。

 

息子は練り消しと消しゴムを見ていて、筆箱に入り切らない大きなサイズの消しゴムと、光る練り消しで迷っていた。

「二つ買ったら」と提案したけど、一つでいいんだと言って、迷った末に光る練り消しを買った。

 

何も予定がない日に文房具屋さんで、ゆっくり選ぶって楽しいなと思った。

子どもの頃、私も文房具屋さんが好きで、ゆっくり見たいと思っていた。親と一緒だと「必要ない」の一言で終わってしまうから、自分だけで外出出来る年齢になった時は嬉しかった。買えなくても、見ているだけで胸いっぱいの幸せで、帰り道は幸せのため息が出たことを思い出して、幸せになった。

 

 

探検と夕涼み

15時過ぎから子ども達と探検に行った。

 

降りたことのない駅で降りて、探検しようと出かけた。駅前の地図を見たら大きな公園があったので、そこを目指すことにした。

 

スマホの地図は見ないで、すれ違う人に聞いてみようということになった。

二人に聞いた。親切だったし、犬もかわいかったし、知らない方とおしゃべりして楽しかった。わかりにくいから、と途中まで案内してもらえた。

 

出発時間が遅かったから、あっという間に薄暗くなってきて、滞在時間は僅かだった。風に吹かれて気持ちのよい夕涼みだった。

 

公園で何をするわけでもなく、親子でぼうっとしただけだったけど、いい一日だった。

健常児かどうか

上の子を産んですぐに確認してしまった。

手足の指が5本ずつあるかどうか。あって安心してしまった。

 

入院が終わり自宅に戻った時、母に言われた。「良かった、あんたが障害児を産まなくて。」って。

 

「障害児だったらだめだったの?」と聞くと、当たり前でしょうと答えた。「恥ずかしいし、笑われる、バカにされる。」と言う。

母の周りではお孫さんの写真を見せ合うのが流行っていたから、その人達にバカにされたくなかったみたいだった。

 

第一子が流産していたし、私にとっては産めるかどうかが不安だった。ダウン症かどうかは、さほど問題に思っていなかった。

検診でお医者さんに検査するか確認された時に、夫婦で少し話し合った程度で、ダウン症でも我が子を大切にしようという結論が出ていた。

なのに、自分自身も手足の指を確認してしまった。ダウン症を受け入れようと思っていたのに、見た目を気にする行動をとった自分にショックを受けた。

 

妊娠中も普通の子を産んでよ、と圧をかけられていた。でも、健常児に生まれたけれど、消えてしまいたくてたまらなかった私のような人間が、健常児ということだけで障害児よりも優れていると思えなかった。そう言いきる母が嫌いだった。