amethyst-222’s diary

親から離れて心の安定を手に入れた経過の話

夫は私の実家に入ったことがない

夫は私の実家に入ったことがありません。

一歩もです。玄関までもなし。

 

親への結婚の挨拶は、父の仕事の昼休みに父の職場まで挨拶に行き、そこでしました。

 

自宅がゴミ屋敷だからどうしようと思ったのは私だけではなかったようで、親からも家には入れられないと告げられました。

私の為には掃除をしてくれる気もなく。

(兄のお嫁さん、妹のご主人は実家に入ったことがあります)

 

その為、結婚の申し込みも両家の挨拶もレストランで行いました。

 

今までは付き合っている人ができて家に行きたいと言われても、結婚の話を切り出されても、実家に呼ぶ勇気もなく、ゴミ屋敷だとつげる勇気もなく、時間だけが過ぎてしまいうまくいかなくなったことがありました。

 

そんなことを思い出しながら、掃除をしていました。

自転車の後部座席から見える景色

子どもの頃、自転車の後部座席に乗るのが苦手だった。

 

母親は車の免許を持っているけど運転をしない人で、母と子だけだと、自転車か徒歩しか移動手段がなかった。

 

運動神経が悪い人で、自転車は度々ふらついた。

母は時折、きゃーっと大声で悲鳴をあげた。

 

ふらついても、どっしり構える人だったらそんなに怖く感じなかったかもしれない。

けれど、母自身がびくびく運転するから、自転車で移動する日は恐怖だった。

 

特に坂が怖かった。

母は何回言っても 、きゃーっと叫びながら坂を下るから、怖いやら恥ずかしいやらで、憂鬱なことの一つだった。

母は大好きなのに、行動がスマートじゃないから、誰かに見られると恥ずかしかった。

 

妹の背中と母の背中で前が見えなくて、いつ坂を下るのかびくびくとしていた。

気持ちの準備をしようと横を向くと体重が傾いてしまうみたいで、怒られるし怖いしで、あの頃の光景も、まだしっかり覚えている。

 

子どもといると、何気ない風景をすごく思い出す。

雨の中、自転車に乗ること

下の子と自転車で出かけたら、帰り道で雨がぽつぽつ降ってきた。

 

雨宿りを提案したけど、これくらいの雨で自転車乗るのは楽しいと言うから、雨宿りせずに自宅を目指すことになった。

 

途中でどしゃ降りになり、これはさすがに雨宿りしようということになり公園へ寄った。

 

雨宿り出来る東屋だと思っていたものは、東屋ではなく藤棚のパーゴラで、笑っちゃうくらい全然雨を防げなかった。

子どもと大笑いした。

 

大木のけやきがあったので、けやきの木の下に移動して雨宿りした。

 

びしょ濡れで自転車で移動していたから、車で移動している人達にかわいそうな目で見られたりしていたけど、私達親子にとってはまた楽しい思い出が増えた一日だった。

 

お墓参り

核家族で育って、親戚はみんな遠くに住んでいた。

 

お金がかかるからという理由で、ほぼ帰省したことがなく、しかも、家族全員で帰省したことは一度もない。

 

お盆にみんなで集まってお墓参りに行くご家庭に憧れていた。

 

うちの家族だけでもお参りに行きたいと言っても、近くに縁者がいないから、当然近くにお墓もなかった。

 

どうしてもお墓参りが諦められなかった小学生の私は、歩いて行ける程近くの、知らない人のお墓参りを一人でしていた。

 

とは行っても、お墓の草むしりをして、手を合わせるだけ。

 

水子供養のお地蔵様にも、小学生の女の子が一人で手を合わせているシュールな光景をつくっていた。

 

 

宗教にはまれなかったこと

死ねないから生きるしかない、と決めてから、何か縋るものがほしかった。

両親の代わりになるような存在を求めて、何か何かと焦るうちに「宗教だ!」と思いついた。

 

親から離れて自立したくても、アパートを借りるにも就職するにも保証人とかの問題が出てきてしまうから、利己的な目的だけど、誰か後見人に当たる人を求めていた。

 

元々、某宗教に生まれながら入っている二世の子がいたから相談してみた。

 

入るつもりで、いろいろな話を聞いたけど、なんだかピンとこなくて、宗教巡りをすることになってしまった。

 

残念ながら仏教系の信仰宗教が肌に合わなくて、じゃあ次はクリスチャンかなと思い、タウンページから電話番号を探し、電話をして教会へ行ってみた。

 

牧師さまはとても素晴らしい人で、この人の側にいたいと思うのに、そこの宗教の集まりに参加するのは、仕事と時間が合わなく、罪悪感が募った。

牧師さま以外の人とは居心地も悪かったから、そこも離れることになった。

 

結局どこにも属せず、一人でお寺や神社を訪ね、一人で本堂でぼうっとして過ごしていた。

 

頭のどこかが冷めていて、何かを盲信的に信じたことがないから、信仰しているものがある人が羨ましくてならない。

思い描いていた自分の将来

私と結婚してくれる物好きはいないと思っていました。

だから、生涯独身で、ずっと、一人で、古いアパートで暮らして行くのかと思っていました。

 

未来に諦めきって、何も期待していないからこそ周囲に素直に気持ちを言える時期があって、その時に職場の知人に打ち明けました。

 

本当は結婚して子どもがほしいこと、でも、自分にはとても出来る自信がないこと。

結婚したいけど、お見合いとかを持ってきてくれる親も親戚もいないから、もう一人で生きていく覚悟をしていること。

 

そこから、おかしいくらいにとんとんと話が進んでその人と結婚することになりました。

 

恋愛感情からの結婚ではありません。

仕事がしやすい、話が通じるからこそ、一緒に暮らしていけるんじゃないかなと話になりました。

 

とても優しい人で、この人と結婚できて良かったと思っています。

職場での仕事のやり方を知っていたので、結婚してから、こんなはずでは!と驚くことがほとんどありません。

 

結婚していなければ、昼間は普通に事務員として働き、夜は水商売をして、一人で暮らして行く為に必死にお金を貯めていくはずでした。

未来が塞がっていたはずでした。

あの時に、どうしてそんな話になったのか、きっかけは覚えていませんが、言霊を感じた出来事でした。

同窓会についてくる親

20歳の頃、小学校の同窓会があった。

両親が、場所と時間を言えば参加していいと言ったので、お店の名前と時間を伝えて参加した。

 

同窓会が始まって少しした頃、店員さんが

「〇〇様、いらっしゃいますか?」と呼んだ。

私です、と名乗り出ると、お呼びのお客様がいらっしゃってと言う。

なんのことやらわからないけど、案内されるまま着いていくと父がいた。

 

「用はない、様子を見に来ただけだ」と言うけど、「男の子と話していやらしいなお前」と言われた。

 

あっちの席で様子を見てるからなと言われて、その場は開放されたけど、楽しめなくて早々に帰って家で泣いた。

 

母に伝えても、心配だったからでしょ、それともやましいことでもあるの?と、論点がずらされてしまった。

恥ずかしがる私がいやらしいとばかりに言われ、誰も気持ちをわかってくれなかった。

 

この話を友人にしても、ただの過保護だと思われて笑われるだけだったけど、過保護じゃない。

支配とか、干渉とか、ぞっとする気味悪さを誰も理解してくれなかったけど、本当にうちの両親は気持ちが悪い思考だと思う。