ぶりっこ
母はぶりっこだった。
外では「さ」「し」「す」「せ」「そ」を駆使して相手を褒めて、相手に取り入ろうとしていた。ほとんどの人は「お母さん、優しいから良いわね」と私に言った。
「さ」さすがですね
「し」知らなかった、物知りですね
「す」すごいですね
「せ」センスいいですね
「そ」そうなんですか
家では、褒めた相手の悪口ばかりだった。思っていないのに褒めてるストレスからか、悪口の頻度は多くて、時間も長かった。聞かせられるのも苦痛だった。重苦しい気持ちが移った。感情のゴミ箱だった。
愚痴聞き係は私と妹のみ。兄には聞かせたくないようで、私と妹だけがその役目を担っていた。
悪口の相手は、電話したり一緒に出かけたりしている人なのに文句ばかり言うから、母の苦痛を取ってあげたくて、「嫌なら会わなきゃいいんじゃないかな」と提案すると叩かれる。そして、「バカにしてるのか、おまえの為だろう」とお説教タイムが始まる。
子どもを育てるってことは母みたいに、思っていないことを褒めたり、ストレスが溜まるものだと思っていたけど違った。子どもの同級生の保護者同士でも、嫌な人とは付き合わなきゃいいし、おべっかも言わなきゃいい。母は媚を売りまくっていて、みんなにいい人だと思われたかったからあんなだったんだと思う。私は媚を売らないから、世界も狭いかもしれないけど困っていない。
子どもを感情のゴミ箱にしたくないから、これでいい。